宗祖智証大師生誕1200年記念 井浦新写真展 三井寺鑽仰


宗祖智証大師生誕1200年記念
井浦新写真展 三井寺鑽仰


天台寺門宗の総本山三井寺で、宗祖・智証大師のご生誕1200年という節目の年を記念して、井浦新写真展「三井寺鑽仰」を開催。


三井寺には、自らカメラを手に何度も訪れ、重要文化財に指定された訶梨帝母倚像、護法善神立像などの普段は拝する機会の少ない仏像や三井寺での法要・行事、境内の四季折々の風景などを撮影してきた井浦新。本写真展は、三井寺で撮影した作品から「自然・文化・歴史」をテーマに厳選し、構成しました。

 

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【期 間】
2014年10月19日(日)〜11月24日(月・祝)
【時 間】
9:00 〜17:00(16:30受付終了)
【会 場】
三井寺観音堂 客殿
【料 金】
無料 ※ただし三井寺山内の拝観料は別途必要です。
【主 催】
天台寺門宗 総本山三井寺
【協 力】
一般社団法人 匠文化機構

 

 

 

 


<主催 / 三井寺>

開いた窓の彼方へ  井浦新写真展『三井寺鑽仰』に寄せて

写真。十九世紀に発明された画期的な技術は、瞬く間に世界を席巻した。その後、写真技術は著しい進歩を遂げ、いまやデジタル万能の時代となった。しかし、技術は変わっても、その表現は本質的に何ら変わってはいない。二十世紀初頭、アジェがパリの街角を刻みつけるように撮影していたころから戦後六十年代にダイアン・アーバスが写真にとりつかれるように自ら命を絶ち、八十年代にはエイズに冒され、この世のものとは思われない花を撮り続けたメイプルソープ、そして二十一世紀の現在に至るまで、写真は色あせることなく世界中で生起してきた膨大な記憶を私たちのまえに開示している。
写真。誰にでも撮れるようで誰にも撮れない、そんな写真がある。この世界には「目に見えないもの」が確実に存在する。それを愛と呼ぼうと、希望、信頼、慈悲と呼ぼうと同じ「目に見えない」ことに変わりはない。もとより人間の視力は限られている。私たちは海を見ても、海の底をみることはできない。しかし、海の深淵の向こうに底が実在することは確信できる。この世界には、すこし目を凝らせば「目に見えないもの」が溢れていることに気づくことができる。
写真家の最大の仕事は、目前に存在する被写体を通して、その彼方に広がる目に見えない世界を撮しこむこと、人びとに日常の風景のただ中に「目に見えないもの」の存在に気づいてもらうことに尽きる。写真とは、「世界の裂け目」、「異界への窓」に他ならないのである。どんな仏像にしても、ただの木彫に過ぎない。しかし、その位置に写真がとどまっている限り、千数百年にわたって人びとが守り伝えてきたもの、その核心を理解し、人びとに伝えることは到底できない。
このたび、井浦新さんの撮影現場に立ち会ってきた者として確信をもって断言できることがある。それは、彼がこれまで様々な分野で研いてきた美的感性、そのすべての才能を挙げて、被写体の彼方に存在する「目に見えないもの」、「語りえないもの」を見つけようと懸命にシャッターを押し続けてきたこと。カメラを手に日常世界の「窓」を開け放ち、その向こうに広がる誰も見たことのない世界を見究めるべく、迷うことなく真っ直ぐに歩み続けていることである。いま井浦新という写真家の眼差しは、写真という隘路(フリガナ:あいろ)を通って「異界への窓」に限りなく接近しているのである。
どうか皆さんも井浦新さんの作品に接し、ご自身の心の窓を開け放し、井浦新さんが見つめ続けてこられた世界を彼とともに共有していただければと願ってやみません。

平成26年10月吉日
総本山三井寺執事長 福家 俊彦

 

<作者 / 井浦 新>

三井寺との出会いは、円空仏に魅せられて、数年前にふらっと立ち寄ったのがきっかけでした。長等山の中腹に位置する三井寺から琵琶湖を望めば、まるで寺に見守られるかのように湖が広がり、そのスケールの大きさに圧倒されたのを覚えています。
数々の歴史上の重要人物を受け入れてきた重厚な山門、国宝の金堂へ続く参道は生命力あふれた美しい杜に包まれ心身が癒されます。
寺と神社にはそれぞれの信仰の形がありますが、三井寺は眼に見えるものと見えないものが共存していると思います。
「三井寺鑽仰(みいでらさんごう)」では、眼に見えるものだけでなく、そこに共存する三井寺の気配を、写真を通じて心で観じ入っていただきたいと願っています。

井浦 新